7月末。
オリエンタルナッツ醬を開発している料理人・船山さんと、岩手県に入った。
今回の目的は、ODDアジカに使っている在来あんず「八助」の生産者である田村さんや、東北で在来作物を栽培する生産者さんを訪ね、東北の食文化を体感すること。
特に、ナッツバター屋として、東北各地に残るくるみの郷土菓子は食べなければ!と意気込んでいた。
途絶えた種を、もう一度
着いた初日は、沼山大根を育てるT-farmの田口さんに会うため、そのままレンタカーを借りて秋田へ。

沼山大根は、一度は途絶えた秋田の在来大根で、田口さんを含む3軒の農家が2018年に復活させた。
DADAでは以前、数量限定で販売したODD XO醬に、T-farmさんの沼山大根を使わせてもらっていた。
沼山大根は、いぶりがっこの原料に最適な大根だと言われているが、火を入れるとお芋のようにホクッとして、甘くておいしい。
こんな味の大根を食べたことがなかった私には、とても衝撃的だった。
復活させてくれてありがとう!!と、素直に思った。
実は、田口さんが沼山大根を育てるきっかけとなったのは、田村種農場の田村さんだった。
実家の農業を継いで5年ほど経った頃、両親からは無理だと言われていた無農薬での農業を学び始め、東北で実践している人を探す中で出会ったのが、田村さんだったそう。
田口さんは田村さんから、農法だけでなく、自分の地元にも目を向けてみることを提案された。そこで、すでに失われていた沼山大根の存在を知り、復活に取り組むことになった。
今は沼山大根のほかにも、お米(亀ノ尾1号・ササシグレ)や、アリーナ小麦(この話はまた後ほど!)、南部小麦、スペルト小麦などを育てている。
大変なこともありながら、作物の変化を楽しみながら農業をされている姿が、とてもいいなあと思った。
田口さんが育てた沼山大根は、恐れ多くて、まだ田村さんには送れていないそうだ。
2人が再会する日を、ひっそりと楽しみにしている。
そして翌日、私たちは田村種農場の田村さんを訪ねた。

久しぶりに訪れた八助梅の畑は、木が大きくなり、本数も増えていた。
そして5年前と違うのは、木と木の間に、岩手の在来大豆「山白玉大豆」が植えられていたこと。
田村さんによると、ミツバチを呼び込むための試みのひとつなのだそう。
欲張りな私は、飲食店ではメニューの選択肢が多いほうがうれしい。
それは蜂も同じなのかもしれない。
以前、DADAのZINEのために取材をさせてもらった頃、田村さんは岩手の在来種を20種類ほど集め、栽培していた。
当時、農家として在来野菜を売るうえで、どのような提案なら家庭に届くのか、今の暮らしの中でも使いやすく、おいしく食べてもらえる加工方法は何かと、試行錯誤を重ねていた。
(手作業で500kgもの切り干し大根を作っていたと聞いたときは震えた。しかも天日干し!)
そして今は、集めた在来野菜の種をつなぎながら、果樹や穀物の栽培に力を入れている。
田村さんは、経験を蓄積しながら、その先にある可能性を考え、探り続けている。
話をする中で、「将来的には組合をつくりたい」と言っていたことが印象に残った。
農業を続けていくには、販路や収入だけでなく、体や心の余裕も必要だ。個人で頑張り続けるのではなく、農家同士で支え合える仕組みをつくるということ。
在来作物を、地域や仲間と一緒につくっていくものとして捉える。
それは「続け方」として、とても自然な形のようにも思えた。
八助梅の故郷を訪ねて
そのほかにも、八助梅の故郷である青森県南部町の、小沢田果樹園さんを訪ねた。
DADAでは、昨年からこちらの八助梅も買わせていただいている。

小沢田さんは、私がこれまで出会ってきた方の中でも、かなり上位の東北訛り。
50年ほど前に果樹園を始め、それ以来、八助梅を育てている。
南部町では、昔から八助梅を紫蘇巻きにして食べてきたそうで、「紫蘇巻きには八助じゃないとダメだ」という方も多いという。
小沢田さんの近所のおばあちゃんは、「夏は冷凍した完熟八助を食べていれば夏バテしない」と言っていたそうだ。
八助の生まれ故郷ならではのライフハックだ。
小沢田さん自身も、「普段はあまり食べないけれど、たまに食べると、やっぱり八助がおいしい」と言っていた。
面白いのは、隣の秋田では、同じ八助梅が「なにわ梅」と呼ばれていること。県境を越えると、同じものでも名前が変わる。
八助梅の名前の由来といえば、ZINEにも書いた「八助さんの切ない恋物語説」が有力なのだと思っていた。
しかし今回、小沢田さんから新しい話を聞いた。
地元で八助栽培の名人として知られていたカシワザキさんは、八助梅のことを、中国由来の「コウリャン豊後梅」だと言っていたそうだ。
また、八助梅の謎が深まった。。
八助梅のルーツにも、人から人へ語り継がれていく中で、さまざまな説が残っているようだ。
人から人へ渡る種
そして西和賀では、渡辺農園さんへ。
西和賀へ行きたかった理由のひとつが、「雪納豆」の話を聞きたかったからだ。
雪納豆について調べているうちに、渡辺さんの名前に行き着いた。
そこで連絡をしてみると、雪納豆を復活させた「味工房かたくり」の中村さんを紹介してくださることに。
そのご縁で中村さんのお話を聞き、その後、渡辺農園さんにも見学に伺うことになった。
西和賀は奥羽山脈に囲まれた、岩手県内でも有数の豪雪地帯。
年間の降雪量が10メートルを超えることもあるという。
一年のかなりの時間を雪とともに暮らすこの土地では、雪を食や暮らしに生かす知恵も生まれてきた。
そのひとつが「雪納豆」。
納豆を藁に包み、雪の中で発酵させるという、西和賀に伝わる伝統食だ。
中村さんの奥さんが、かつて西和賀の人々が作っていたと伝わる雪納豆に興味を持ち、試行錯誤を重ねて復活させたそうだ。
現在では作っている人がほとんどおらず、幻の納豆になってしまっているという。
いつか食べてみたい。
(図らずも高野秀行さんの『謎のアジア納豆』を読んでいたので、とてもタイムリーだった。)
そんな土地で、昔から人々が何を食べ、どんなふうに冬を越してきたのか。
保存の知恵から生まれた加工品や、山菜、マタギ文化。
そんな西和賀の暮らしを少しでも知りたくて、今回ここまで足を延ばした。
そして、ここでも思いがけないつながりがあった。
田口さんと渡辺さん、それぞれにアポを取ったあとで分かったことだが、田口さんが育てているアリーナ小麦は、渡辺さんから譲り受けた種から始まっていた。

アリーナ小麦は、50年ほど前、スイスから岩手県に赴任した神父さんが伝えたと言われる、スイスの在来小麦。
ヨーロッパの小麦ということもあり、やはりパン作りには向いているらしい。
(食べたい)
スイスから岩手へ。
そして、渡辺さんから田口さんへ。
ひとつの種が、何十年もかけて人から人へ渡っていた。
渡辺さんは小麦のほかにも、お米や、希少な在来種のニンニク(八幡平・八木・最上赤・富良野)など、集落ごとに受け継がれてきた複数の在来品種を育てている。
イワテヤマナシ(宮沢賢治の詩に登場する「やまなし」だそう)やエビガライチゴなど、日本各地に自生する果物も実験的に育てている。
どれも食べたことのないものばかりの、ワイルド果樹園だった。
その中には、日本の野生のヘーゼルナッツ「ツノハシバミ」の木もあった。
土地ごとに形を変える、くるみの郷土菓子
人から人へ、種や知恵が渡っていく話を聞いてきた今回の旅には、もうひとつ、追いかけていたテーマがあった。
くるみの郷土菓子。
種と同じように、この土地にずっと残ってきたものを味わってみたかった。
旅の途中で、いくつかの道の駅に立ち寄った。
産直の手作りお菓子のコーナーには、必ずと言っていいほど、くるみを使ったお菓子があった。
今回食べたのは、「きりせんしょ」「くるみおこわ」「かまもち」「お茶もち」「がんづき」「ゆべし」「くるみ餅(揚)」「きゃばもち」。

せっかくなので、なるべく日本のオニグルミが使われているものを選んで食べてみた。
同じ種類のお菓子でも、生産者さんによってその見た目が結構違う。
パッケージの食品表示に書かれた生産者さんの名前を見ながら、勝手にその人の家にお邪魔しているような気持ちになった。
「これが○○さんちの味か」
そんなことを思いながら食べるのも楽しかった。
中でも印象的だったのは、「くるみおこわ」と「きゃばもち」。
くるみおこわは、炊き込みご飯のような醬油風味なのに、しっかりと甘みもあって、食べた瞬間、脳が混乱した。

きゃばもちは、きゃば(柏の葉)に包まれた、和製スコーンのようなお菓子。今回食べた郷土菓子の中でも、少し変わったポジションだった。

そんな驚きも含めて、食べ歩きながら面白いと感じたのは、どこか似ているのに、少しずつ違うこと。
同じような見た目でも呼び名が違ったり、逆に同じ名前でも、地域や作り手によって少しずつ違ったりする。
最初は、その違いがよく分からなかった。
どこまでが同じお菓子で、どこからが違うお菓子なのだろう。
そんなことを考えながら食べていた。
旅の途中、岩手県北の郷土食を研究する佐藤さんにもお話を伺った。
地域おこし協力隊として九戸村に移住し、どんぐりで作られた「しだみ団子」を食べたことをきっかけに、郷土食にのめり込んでいったという佐藤さん。

厳しい風土の中で、人々が土地にあるものを工夫しながら暮らしてきたこと。
そして、その積み重ねが郷土食として残っていること。
その面白さを、いろいろと話してくれた。
中でも印象に残ったのが、「同じようなお菓子でも、地域によって呼び名が違うことがある。逆に、同じ名前でも地域によって少しずつ違うことがある」という話。
まさに、自分たちが産直に並ぶ郷土菓子を見ながら、うっすらと感じていたことだった。
そもそも岩手は、「食文化がひとつにまとまりにくい土地」なのだそう。
岩手県はとても広く、山・平野・海で環境が大きく異なる。
環境が違えば、育つものも、食べ方も違う。
県北には雑穀文化、県南にはもち文化、沿岸には海産物文化がある。
だから「岩手の郷土食」とひとことで言っても、実際には、たくさんの地域性が重なってできている。
話を聞き、いろいろと食べているうちに、どこまでが同じお菓子なのかという境界線は、それほど重要ではない気がしてきた。
米粉や雑穀、くるみを使った似たようなお菓子が、地域や家庭ごとに少しずつ違う形になっている。
どれもどこか親戚のようなお菓子で、そんな曖昧さが面白かった。
そう考えると、面白いのは「素材そのもの」ではなく、素材を受け止める、それぞれの土地の食文化なのかもしれない。
今回食べた郷土菓子の多くは、米粉や小麦、雑穀など、粉ものがベースだった。
そこにくるみが加わることで、香りやコク、食感が生まれる。
厳しい土地の暮らしの中で、くるみはただの木の実ではなく、料理を豊かにする大切な存在だったのかもしれない。
確かに今思うと、かまもちでもお茶もちでも、くるみは主役ではないにしても、いい仕事をしていた。
ナッツの果たす役割が、今とあまり変わらないことも面白かった。
同じ材料でも、土地によって少しずつ違う姿になる。
今回訪ねた生産者さんたちのことを思い出す。
受け継がれたものは、そのまま残るのではなく、その土地の暮らしの中で、少しずつ形を変えていく。
そうやって続いてきたものが、今、目の前にあるのかもしれない!
そう思うと、目の前にある食べ物一つひとつの物語が、ちょっと気になってくる。
